雨に漂う甘いキンモクセイ

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長老は「添乗員で何べんも行った」と言ったきり黙った。

長崎と水俣にも行こうと思っていますと、私が言うと「水俣には市がやっているのと住民のと、二つ資料館がある。市のはきれいだけれど、住民の資料館のがいいな」という。

豊島(てしま/瀬戸内海)に資料館を作ろうという話がでた時、長老は中坊公平弁護団長に怒られたという。

「わし、しこたま怒られてな。県と町が1億なんぼ出す言うてきて、資料館、水ヶ浦か家浦か、どこにつくったらよろしいかと中坊先生に相談したら、人間廃棄物を作るのか! 行政に騙されてしんどいことしてきたのに、行政依存の豊島に戻ったんか!とぼろくそに怒られた。心がこもってない、というお叱りでした。それで、事業者の事務所をきれいにして、石を築いて資料館を作ったの。後に中坊先生、心がこもっていると喜んでくれてな」

こころの資料館は、緑色の屋根の古い家屋だ。大型の施設が建設された産廃処理現場において、民家のように見える唯一の1軒。その中に「剥ぎ取り」を展示している。

「自治会に金のうて、金もないのにどして作るん、と言われたけど、忘れずに伝えていかな、協力してくれた人に申し訳ない」

「“剥ぎ取り”を作るのに970万(円)かかりました。970万の金なかったんです。住民会議に金がのうて“そんなもん作らんでもいいやないか”“作ったってしょうがないだけやないか”という声があったんですけど、これは“語り継いでいくためには必要じゃないか”

“原爆ドームとおなしじゃないか”

それで作ろうや言うことになって、一生懸命作りました。そうすると地球環境基金が420万円補助してくれました。やれやれということになりました。それが豊島、産廃そのものの標本“剥ぎ取り”です。

18mの高さに積まれておった廃棄物に穴を掘って、壁面を作りました。その壁面へ樹脂糊を吹きつけたんです。吹きつけて、はりついたものを剥ぎ取った。ですからこれは“剥ぎ取り”という標本です。豊島の産廃そのものです」

豊島事件の産業廃棄物処理現場を訪れた人は、この剥ぎ取りの前に沈黙する。

原爆ドームを前に、私は何も言えなくなった。

幹に草を生やした大きなクスノキが、雨やどりの場所をそっとつくる。ほのかに甘いキンモクセイの香りが漂う。小学生の一団が若い女の先生の話を聞いている。「先生のお父さんが子どものころは、この中に入れたそうです。でも、年月がたって危なくなったので今は立ち入り禁止です」

原爆記念資料館には、衣服や生活用品が1点ずつ並べられ、懐中時計が時を止めたまま展示されていた。私は音声ガイドを借りて聞きながら、小学生にもわかる説明文を読み、順番に見て行った。触ってみてください、触っても安全ですと書かれた瓦や瓶があった。熱に溶けて変形している。溶けてくっついた塊を融解塊と呼ぶことを初めて知った。

長老は嘆く。「戦争を忘れ、60何年前の戦争を忘れ、水俣のことを忘れ、豊島を忘れ、ややもしたら、福島のことまで忘れる国民じゃないかな」

豊島事件の聞き書きを続けて行く中で私は、広島と長崎、そして水俣を見ておこうと思うようになっていた。戦後72年、戦争体験者から直接話を聞けるのもそういつまでもない。当事者の語りを聞いておきたい。風化することへの警鐘をひしひしと感じる。

「それを忘れたらいかんと思う。やっぱりわしらが申し伝えて、若い人に伝えていく責任がある。それがわしの責任か責務だと思うとります(豊島産廃不法投棄 語り継ぐ85歳元議長の“遺言”  KSB特集から砂川さんの言葉を引用)」と、長老は言う。

豊島の産業廃棄物処理事業は2017年3月の完了予定をめざして、掘削を終えようとしている。

■2016-9-29