こぼれ種の勢い

豊島(てしま/瀬戸内海)の長老は、畑に少量多品目の野菜を植えている。家庭菜園の域を超えた収穫量だと思うのだけれど、豊島の中では小さな菜園なのだそうだ。

「7月の末な、トマトの枝を詰める。ナスもな。そうすると、秋にも収穫できる」

成り放題にしないで枝を詰めることで勢いを抑え、収穫の時期を調整し、秋に実がしっかりしたトマトが採れるようになるという。

映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」を私が自主上映したのは25歳のころ。1本のミニトマトの木に生命力はどれだけあるかという水耕栽培の実験で、ドーム型の温室いっぱいに枝を広げていく話だった。1本の苗から1万個の実が採れたように覚えている。成長の妨げになるものを省いてやれば、限界は広げられるという内容だったように思う。

我が家にもこぼれ種から芽がでたミニトマトがあり、野沢先生のようなトマトが!という期待に胸を膨らませ、トマトが伸びる様に任せておいた。あれよあれよというまに私の背を越して、太い枝ぶりを広げ出した。支柱を2本立て、わき芽を摘むといい実になると思い出し、これと思う花だけを咲かせた。

肥料はやらなかった。水もほとんどかけなかった。なのに、ぎっしり花を咲かせて、どれだけ実がなるだろうと、人の手を加えない実験を面白がっていた。ところが、実をつけない。花が咲いた後に結実しない。枝先はしなり、わき芽が絡みながら大きくなって、野放図にうっそうとしている。塀を超えて隣へ枝を伸ばし始めたので、ようやく枝を切ることにした。

マニュアルでなく、取り扱うものに即した舵をとれ。目の前の野菜をよくみよ。「よくみて、よくする」というのは、息子が通った幼児生活団の教えだ。簡単な言葉に込められた、感性を育てる術。長老の言葉にも、土とともに暮らして一家を支えた柱を感じる。

長老の言う時期は逃したけれど、枝を詰めた。ところが、台風にあおられ、支柱も傾いたまま。そこで、伸び放題の部分から切り始め、風通しのいいミニトマトにした。もう、実はならないかもしれない。こぼれ種だもの、栽培んしているのじゃないもの。こぼれ種が枯れていく様まで見ておこう。

追記2○9月末、ちいさな結実第2弾をみつけました。

追記1○ミニトマトは濃い味がして、とびきりおいしかったです。実が割れることなく収穫できました。出来は上々。